中野ミニ知識: 中野区役所の矢橋六郎モザイク壁画 ☜ まもなく「現存せず」となる見通し

中野区役所庁舎

現在の庁舎はJR中野駅のすぐ北、東京都中野区中野四丁目8番1号、1968(昭和43)年竣工。来月、2024年5月7日に北側の新庁舎に移転する。現庁舎と隣の中野サンプラザは解体され、跡地には、マンションやオフィスなどが入る超高層の再開発ビルを野村不動産などが建設する運びとなっている。

「武蔵野に想う」

中野区役所現庁舎1階、窓口エリアの一隅の壁に、矢橋六郎(1905-1988)のモザイク壁画「武蔵野に想う」(1968) がある。落ち着いた茶色を基調に武蔵野の樹々や鳥が描かれている。洋画家の矢橋は、有楽町・交通会館の「緑の散歩」など多くのモザイク壁画を制作したことでも知られる。

矢橋六郎「武蔵野に想う」。2024/4/16撮影

矢橋六郎「武蔵野に想う」の一部。2024/4/19撮影

区議会のやりとり👇によると、中野区は壁画を現物として保存する計画はない。

つまり、解体される現庁舎と運命をともにし「現存せず」となる見通しだ。建物と一体となったアートの宿命なのか、それとも日本の建築物がすぐこわされてしまうからなのか、矢橋作品の現状をまとめたサイトなどによるとすでに現存しないものも多いようだ。

永遠の絵画

矢橋六郎 (1970)『矢橋六郎モザイク作品集』求龍堂, という資料がある。生成りの布表紙に作者サインと本物の石のモザイクがあしらわれている。

1000部限定の入手困難本だ。都立中央図書館所蔵のものを2024/4/25中野区立中央図書館で閲覧した。奥付と内表紙に「美濃部亮吉氏寄贈本」と、蔵書印の日付1975/11/11当時の東京都知事の名が記されている。コピー不可。

図版ページに「武蔵野に想う」のカラー写真もある。作品カタログページには「MUSASHINO」という英名と、「July 1968 35.3㎡ Nakano Ward Office, Tokyo」と作品データが記載されている。

本の冒頭の「作者の言葉」によると、作品は「大理石やその他の色々の種類の石を四角い断片に切って並べ」てつくられた。続いて次のようにある記述は、たった数十年でかなりの作品が現存せずとなってしまった現状を思い味わい深い。

幾千万年の自然の力を経て出来た,これ等石材の持つ色彩は深みのある事,混り気の全く無い事,又どの色を配列しても決して反発し合わない事,絶対に褪色しない事等,絵具とは全然特異の性格を持っている。ローマ人はモザイクを永遠の絵画と称しているのも,うなずけると思う。
私は壁画の依頼を受けると,先ずその建物の性格とマッチする事を考える。そのために懸命の努力をする。画家として,壁画を作る事は恵まれた事と思う。その建物に出入りする幾十万,幾百万の人々がその絵の前を通りながら見てくれる。絵に関心のある人も無い人も……。たとえ関心の無い人,あるいは薄い人でも何度も見る中には親しみを持って来ると思う,それは作家にとって何より嬉しい事である。それだけに又慎重にならざるを得ない。仕事をしている間中,寝床にいても石の配列が天井一ぱいに浮んで寝付かれない夜が続く。
- 矢橋六郎「作者の言葉」『矢橋六郎モザイク作品集』より

中野区役所、1968年と2024年

1968年に現庁舎が完成してまもないころの1階窓口フロアの写真が区報などに掲載されている。奥に壁画「武蔵野に想う」が写っている。

中野区役所1階。左は『中野区報』1968年10月28日号、右は中野区(1971)『中野区政の歩み 1967-1971』。いずれも中野区立図書館デジタルアーカイブより

似た感じの写真を撮ってみた。もう最後なので。

中野区役所1階、2024/4/16撮影

中野区役所1階と矢橋六郎「武蔵野に想う」。2024/4/23撮影

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少し昔の中野の歴史を調べている私たちのサークルで、2023年10月に中野駅南の中野区産業振興センターと中野バプテスト教会の土地の歴史を調べた150件超の資料と解説と、それをもとにして書いた小説をまとめ冊子にした。

小説は少し昔の物語なので、1936(昭和11)年に中野郵便局の位置に建ったばかりの、現在の庁舎よりさらに前の中野区役所が登場する場面がある。よかったら買ってね☟。

Orangkucing Lab Journal 猫人研究所雑誌
第2号 2023年10月号 500円(税込) 104p ; A5
『緑瞳の黒猫と積善と:少し昔の、中野と佐久のディソナンス』通販サイト

2024/4/25 黒絵 魚

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