キリスト教英語ミニ知識: God ☜ 翻訳された神

God (神)

東アジア言語へ翻訳された God

英語聖書における God は、〈神〉と和訳されている。

ところが、中国語聖書では〈神〉あるいは〈上帝〉だ。韓国語聖書では〈하나님〉(ハナニム) で、これは漢字語の「天主」を1字ずつ訳した 하늘(天) + 님(主) の中期朝鮮語 han@animhan@nim に由来する。

注: 中期朝鮮語は ᄅᄂ を発音通り ᄂ で綴る。han@nim の用例は17世紀の『顯宗妃諺簡』に遡る。

19世紀半ばから20世紀初頭にかけての中国・朝鮮へのキリスト教伝道では、アメリカ人宣教師たちとイギリス人宣教師たちが、God の訳語について激しい論争を繰り広げた。この経過については、金香花 (2023)『神と上帝:聖書訳語論争への新たなアプローチ』新教出版社 に詳しい。

同書によると、God について、崇拝対象としての側面、および、ヘブライ語・古典ギリシャ語との直訳的な対応を重視したのがアメリカ人宣教師たちの訳語〈神〉で、一方、唯一性・超越性をもつ意訳的な対応を重視したのがイギリス人宣教師たちの〈上帝〉や〈하나님〉(=天主) だったという。

結果として、中国での論争はいまだに決着をみていない。朝鮮では、하나님 の 하나 の部分が基数詞の「一つ、1、一人」と解釈でき、綴字から唯一神であることが分かる、という理由で決着がついたという (同書 pp.74-75)。

注: 基数詞 하나 は中期朝鮮語 と綴られるᄒ曲用体言であるので、民間語源に基づく誤った決着といわざるを得ない。

ところが、日本では、 God の訳語論争がほとんど起きなかった。

これは、1899年のキリスト教解禁の前から、アメリカ人宣教師ネヴィアスが上海で書いた『神道總論』という本 (中文) が密輸入され漢文の素養があった知識人たちの間でさかんに読まれていた、ということと無関係ではないだろう。この本のタイトルの「神道」はキリスト教を指す。なお、『神道總論』については、下で [PR] の Kindle 本でも Providence の訳語である「摂理」という語に関連して論じた。

日本での問題点

上掲書 [金香花, 2023] は、明治・大正期のキリスト教宣教者として内村鑑三、海老名弾正らを挙げ、 God の訳語として何を用いたかを論じている。

内村は、〈上帝〉を、三位一体 (父、子、聖霊) の "父" として、あるいは、「興国」という語を使う文脈で用いていた (pp.56-59)。ただし、日清戦争後に非戦論に転じてからは〈上帝〉を用いていない (pp.62-63)。

注: 「個人は國家の爲めに存在するものであつて、國家は世界人類のために存在するものである」(内村鑑三 (1900)『興国史談』警醒社書店, p.2)。内村は儒教的・家父長制的な支配者になぞらえて〈上帝〉を用いていたと考えられる。

海老名は、キリスト教を知った初めのうちは、地上の国が民、君、国からなることから、天国も〈上帝〉を主君とする国だと考えていた。自身の出自が武士なので、君と臣の道徳的関係を God と人の関係、すなわち、儒教の「忠」こそが「信仰」だとした (pp.59-61)。のちには、この類推をさらに進め、〈上帝〉を父なる〈神〉に吸収した、いわば国家神道的な理解に到達していたようだ (pp.66-67)。

このように、訳語論争の起きなかった日本では、当時、布教にあたった有力な宣教者たちにとって God を正しく理解するチャンスが失われていたのだといわざるを得ない。だからこそ、当時の日本のほとんどのキリスト者たちは、大政翼賛体制に唯唯諾諾と組み込まれてしまい、戦争への突入を止める力なんぞ生じなかったとさえいえるだろう。

明治・大正期の大多数のキリスト者にとっては、国家神道と習合した儒教 (家父長制、通俗道徳) における主宰者 (天皇) と、キリスト教の God を同一視することは、きわめて論理的な帰結に他ならなかったのだ。

[PR]

少し昔の中野の歴史を調べている私たちのサークルで書いたエッセイです。東京・中野駅に近い、古民家があるバプテスト派の教会で、まだ洗礼を受けるでもなく教会員になるでもなく過ごした日々のあれこれや、キリスト教的な英語の話題をまとめました。よかったら買ってね☟。

◇ Orangkucing Lab Journal (猫人研究所雑誌) 別冊 2023年11月号
『エッセイ 基督教会の近くにいる日々』黒絵 魚 著
約2万6000字 Kindle 電子書籍 99円
全体の40%が「サンプルを読む」☟から無料で試し読みできます。

2023/10/28 黒絵 魚

【PR】