中野ミニ知識: 創価学会中野会館 ☜ 1963年の天神商栄会の写真

かんぶつ【乾物】

魚類や野菜などを乾燥・加工して,貯蔵に便利なようにした食料品。干し魚・かんぴょう・昆布・焼き麩など。干物。「乾物屋」
大辞林 第三版

下の地図で赤いピンの立つ地点は、現在は個人宅だが、1960年ごろから1975年まで創価学会中野会館だった。

天神商栄会「信濃屋商店」

東京都中野区中野5丁目の天神商栄会という商店街にかつてあった乾物屋「信濃屋商店」の写真が、1963年発行の週刊文春に載っている。

”学会員の乾物屋の店で買い物をする" (写真中央が池田大作)
折伏に生きる若き指導者・池田大作週刊文春1963年2月25日号p.90より
"学会員の乾物屋の店"があった場所。1963年と同じアングル 2024/3/14撮影

1998年に中野駅北口のスーパーマーケットが開店するまで、天神商栄会には多くの店があり繁盛していた。

上にあげた週刊文春の写真(1963年2月5日撮影)は、創価学会第3代会長として就任まもない池田大作が、学会員の乾物屋(信濃屋商店)でアジの干物とめざしを買おうとしているところだ。池田は、当時あった「創価学会中野会館」に車で行く途中だった。

注† アジの干物とめざしを信濃屋商店と向かいの魚屋「魚亀」(廃業。建物や看板は現存)の両方で車にいっぱいになるまで買ったエピソードは、「『兄弟会』の模範の原点:池田先生と東京・中野区」あの日あの時IV-10『聖教新聞』5版, 3面, 2009年6月5日 にも、それぞれの店主の実名入りで載っている。

創価学会中野会館

池田大作が車で向かっていた「創価学会中野会館」は、東京都全住宅案内図帳(1961)に記載がある。

住宅協会 編(1961)『東京都全住宅案内図帳』に加筆
左上赤: 創価学会中野会館、右下赤: 信濃屋商店
緑: 魚亀(建物や看板は現存)

この住宅地図以降、1976年の公共施設地図航空株式会社 編『東京都航空住宅地図帳』までの住宅地図で、同じ場所に「創価学会中野会館」の記載がある。しかし、日本住宅地図出版 編(1976.2)『ゼンリンの住宅地図』では、この場所が空家となっている。

閉鎖登記簿によると、1975年9月30日付でこの場所の土地が売買され、個人から建設会社に所有権が移転した。それまで借家人だった創価学会は、他所に会館を移転したと思われる

注‡ 池田大作を著作者とする『新・人間革命 第17巻』本陣の章(2007年聖教新聞社版の単行本ではp.58)に、1973年2月4日に中野総合体育館(2020年閉館)で行われた講演会・記念撮影で”中野魂"を鼓舞されたある学会員が、私財を投げ打って一軒家を購入し創価学会の会館にあてた話がある。1975年の移転先がこの一軒家だったのかもしれない

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2024/3/15 黒絵 魚

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