かんぶつ【乾物】
魚類や野菜などを乾燥・加工して,貯蔵に便利なようにした食料品。干し魚・かんぴょう・昆布・焼き麩など。干物。「乾物屋」
大辞林 第三版
下の地図で赤いピンの立つ地点は、現在は個人宅だが、1960年ごろから1975年まで創価学会中野会館だった。
天神商栄会「信濃屋商店」
東京都中野区中野5丁目の天神商栄会という商店街にかつてあった乾物屋「信濃屋商店」の写真が、1963年発行の週刊文春に載っている。
1998年に中野駅北口のスーパーマーケットが開店するまで、天神商栄会には多くの店があり繁盛していた。
上にあげた週刊文春の写真(1963年2月5日撮影)は、創価学会第3代会長として就任まもない池田大作が、学会員の乾物屋(信濃屋商店)でアジの干物とめざしを買おうとしているところだ†。池田は、当時あった「創価学会中野会館」に車で行く途中だった。
注† アジの干物とめざしを信濃屋商店と向かいの魚屋「魚亀」(廃業。建物や看板は現存)の両方で車にいっぱいになるまで買ったエピソードは、「『兄弟会』の模範の原点:池田先生と東京・中野区」あの日あの時IV-10『聖教新聞』5版, 3面, 2009年6月5日 にも、それぞれの店主の実名入りで載っている。
創価学会中野会館
池田大作が車で向かっていた「創価学会中野会館」は、東京都全住宅案内図帳(1961)に記載がある。
この住宅地図以降、1976年の公共施設地図航空株式会社 編『東京都航空住宅地図帳』までの住宅地図で、同じ場所に「創価学会中野会館」の記載がある。しかし、日本住宅地図出版 編(1976.2)『ゼンリンの住宅地図』では、この場所が空家となっている。
閉鎖登記簿によると、1975年9月30日付でこの場所の土地が売買され、個人から建設会社に所有権が移転した。それまで借家人だった創価学会は、他所に会館を移転したと思われる‡。
注‡ 池田大作を著作者とする『新・人間革命 第17巻』本陣の章(2007年聖教新聞社版の単行本ではp.58)に、1973年2月4日に中野総合体育館(2020年閉館)で行われた講演会・記念撮影で”中野魂"を鼓舞されたある学会員が、私財を投げ打って一軒家を購入し創価学会の会館にあてた話がある。1975年の移転先がこの一軒家だったのかもしれない
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少し昔の中野の歴史を調べている私たちのサークルで、2021年に冊子を作った。東京都中野区の桃園橋について、江戸時代に木橋が架けられ、1936 (昭和11) 年に鋼鉄桁橋に架け替えられ、その85年後に撤去工事に至る歴史を調査して記した。中野区提供の写真4枚と東京都下水道局から情報公開の図面その他の写真と図を多数収録。
ひとつの橋が近世以降の地域の歴史と強く関わってきたことがわかる。架橋の時期や橋の大きさ、建設の状況なども、この冊子の中で詳細に考証している。よかったら買ってね☟。
Orangkucing Lab Journal 猫人研究所雑誌
創刊号 2021年8月号 400円(税込) 64p ; A5
『桃園橋の歴史』
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なお冊子は下記ブログ記事を大幅に加筆した内容となっている。
2024/3/15 黒絵 魚 記