中野ミニ知識: 逓信省用地 ☜早稲田通りに残る界標

かいひょう【界標】

土地や水面の境界を示すしるし。
大辞林 第三版

逓信省用地

早稲田通り(☝︎地図でピンの立つ地点)に、"遞信省用地"という文字が刻まれた御影石の界標がある。

遞信省用地の界標。東京都中野区中野5丁目、2024/1/26撮影
(1枚目は界標をオレンジ色で囲った)

ていしんしょう【逓信省
交通・通信行政を管掌した中央官庁。1885年(明治18)創設。1949年(昭和24)郵政省と電気通信省に分離。
大辞林 第三版

官舎があった?

旧土地台帳と閉鎖登記簿によると、この界標を北東角とする、現在、マッスルジムやファミリーマートがある1369.51m2の土地が逓信省のものだった。

土地の履歴
1940/1/18 逓信省が昭和通3丁目23番1(1369.51m2)の宅地を買収
1940/2/16 逓信省用地に地目変更し除租
1949/6/1 逓信省が郵政省と電気通信省になる⟩
1952/8/1 日本電信電話公社電気通信省を承継⟩
1953/4/23 日本電信電話公社が所有権取得を登記
1958/12/20 23番3(現オルタナ中野の503.80m2)を売払。1959/2/4に登記
1959/2/4 宅地に地目変更。23番1から枝番3を分筆
1960/9/30 23番1(現中野第2コーポの865.71m2)を交換により譲渡

逓信省がこの土地を何に用いていたかがわかる資料は見つかっていない。

しかし、隣の民有地(昭和通3丁目21番)には、戦後、日本電信電話公社が寮として用いた建物があった。したがって、この土地にもかつては逓信省の官舎があったのではないかと考えられる。

隣の民有地については、官業労働研究所(1955)『元逓信部内在職者名簿 1955年版』p.100 に、ある元逓信省職員(当時は国際電信電話勤務)の現住地として「日本電信電話公社中野寮」「東京都中野区昭和通3ノ21」と記されている。住居表示施行前の住宅地図にも昭和通3丁目21番に"電々公社中ノ寮"という文字が見える。

オレンジ色: 電々公社中ノ寮。住宅協会編(1958)『東京都全住宅案内図帳』中野区北部, p.5

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少し昔の中野の歴史を調べている私たちのサークルで、2021年に冊子を作った。東京都中野区の桃園橋について、江戸時代に木橋が架けられ、1936 (昭和11) 年に鋼鉄桁橋に架け替えられ、その85年後に撤去工事に至る歴史を調査して記した。中野区から提供の写真4枚と東京都下水道局から情報公開の図面その他の写真と図を多数収録。

読んでくれた人の感想はおおむね「橋ひとつのことをよくこんなにたくさん調べましたね!」という感じです。とはいえ、ひとつの橋が近世以降の地域の歴史と強く関わってきたこともわかったから記してある。

架橋の時期や橋の大きさ、建設の状況なども、この冊子の中で詳細に考証している。よかったら買ってね☟。

Orangkucing Lab Journal 猫人研究所雑誌
創刊号 2021年8月号 400円(税込) 64p ; A5
『桃園橋の歴史』

冊子のダイジェスト(A4裏表4つ折のzine)を無料で公開している☟。

なお冊子は下記ブログ記事を大幅に加筆した内容となっている。

2024/1/31 黒絵 魚

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