ラビ【rabbi】
〔元来ヘブライ語で「我が主・先生」の意〕
ユダヤ教の聖職者。律法に精通した霊的指導者の称。歴史的に、すぐれた学者も多い。
(大辞林)
新約聖書が "Hebrew" と呼ぶ言語
今回は、先日、世界中のクリスチャンにより祝われた復活祭(イースター)に関連する話題である(ただし、東方教会では、2024年の復活祭は5月5日であって、まだ祝われてない)。
オックスフォード英語辞典(OED) によると、新約聖書はアラム語を "Hebrew" と呼ぶ(上の画像)。旧約聖書の言語であるヘブライ語は、紀元前3-4世紀にはすでに死語になっており、ヘブライ人は当時、アラム語を日常語としていた。
新約聖書原典のギリシャ語にあたると、次の全10カ所に Ἑβραϊστί あるいは Ἑβραΐς (英語: Hebrew) がある。これらの「ヘブライ語」をそれぞれ「アラム語」と読み替えることになる。(日本語は新共同訳)
- ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 (ヨハネによる福音書5:2)
- ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。 (ヨハネによる福音書19:13)
- いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 (ヨハネによる福音書19:17)
- 「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」…(中略)…それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。 (ヨハネによる福音書19:19-20)
- イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 (ヨハネによる福音書20:16)
- その名は、ヘブライ語でアバッドーンといい、ギリシア語の名はアポリオンという。 (ヨハネの黙示録9:11)
- ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。 (ヨハネの黙示録16:16)
- すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。 (使徒言行録21:40)
- パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。 (使徒言行録22:2)
- 『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う』と、私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。 (使徒言行録26:14)
ラビ(ヘブライ語) = ラボニ(アラム語)
というわけで、上で太字にした ヨハネによる福音書20:16 にある「ラボニ」はアラム語だ。この語は、ヘブライ語: רְבִּי (英語: rabbi、日本語: ラビ)と同語根で、「先生」(ユダヤ教の聖職者)という意味までまったく同じだ。キリスト教がユダヤ教から分かれる前は、イエスはユダヤ教の「先生」として活動していた。
「ラボニ」は、復活したイエスにマグダラのマリアが呼びかける語であることから、רְבִּי (ラビ)とは別の、より親愛の情がこもった私的な(ヘブライ語の)単語であるとする学説がかつてあった‡。しかし今日では、「ラボニ」は、ヨハネによる福音書を生み出した共同体(いわゆる "ヨハネ共同体")で誰もが日常的に用いていた、霊的指導者のごく一般的な称だと考えられている†。
ちなみに、新約聖書原典でラボニ(ギリシャ語: Ραββουνι)は他にもう1カ所でだけ出現する。新共同訳は、その Ραββουνι を特別扱いにせず、たんに「先生」と正しく訳している。
イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。
(マルコによる福音書10:51)
注‡ イスラエルで出版される、あるいはシオニストの学者が書く論文に限っては、いまだに、マグダラのマリアやイエスが日常的にヘブライ語で喋っていたという説を支持するものがある
注† 前川裕(2020)『「ヘブライ語で言った」 : ヨハネ20:16におけるマリアの言葉の史的背景』ヴィア・メディア, 15, pp.1-16
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少し昔の中野の歴史を調べている私たちのサークルで書いたエッセイです。東京・中野駅に近い、古民家があるバプテスト派の教会で、まだ洗礼を受けるでもなく教会員になるでもなく過ごした日々のあれこれや、キリスト教的な英語の話題をまとめました。よかったら買ってね☟。
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2024/4/3 黒絵 魚 記