千光前通り (東京都中野区中野2丁目)
由来
JR中野駅の南口から線路沿いに東に向かう一方通行の道路は、地元で千光前通りと呼ばれている。
このあたりは旧町名を千光前町といった。下記リンクの通り、地名の由来を記す資料は少ない。
1994年1月16日付『なかの区報』に「千光前は、いまの堀江老人福祉センターがもともと千光院と呼ばれた堀江氏の墓地であったことからの名称」とある。
注) 堀江氏は封建時代の中野村名主。堀江老人福祉センターは現存しない
ただし、中野区の「道路の愛称」リストには千光前通りの名はない。道路名表示板もなく、公的にその名を示すのは、歩道に置かれた電線地中化の地上機器くらいだ。
表示
地上機器に記された「千光前通り」の名は目立たない。
しかし最近、中野駅南の再開発で千光前通り入口の工事が始まり、工事の案内板にその名が大きく記されているのを見た。公式には中野区の道路の愛称リストにも道路名表示板にも載せてもらえない、なんというか可哀想な扱いを受けている道路名が。そう思うとなんだか感無量だった。
ただし、道路の名としてではなく旧町名としての「千光前」ならば、マンションの名前あるいは千光前通りから一歩南側に入った電柱上にも見ることができる。
追記
上述の中野駅南の再開発で完成したビルの案内板に「千光前通り」の名があることに気がついた。
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少し昔の中野の歴史を調べている私たちのサークルで、10月初めに中野駅南の中野区産業振興センターと中野バプテスト教会の土地の歴史を調べた150件超の資料と解説と、それをもとにして書いた小説をまとめ冊子にした。その中で千光前通りおよび千光前町という地名についても複数の資料を挙げて詳しく解説している。よかったら買ってね☟。
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2023/10/21 黒絵 魚 記